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Author:chaos infinity
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もうすぐ東日本大震災の発災時間…と思うと、しゅん…とした気持ちになる。

近頃、2年経ってだいぶ気持ちが落ち着いたような気がする…と思っていたのだけど、今日の新聞の特集記事を読んでいるうちに涙が溢れ出て号泣に近いくらいに泣いてしまった。

1年前の今日と何ら変わっていない自分の気持ち。

頭で覚える記憶とは違う、全身で五感で肌で感覚で覚えた震災の記憶は、この先も自分の中から消え去ることはないのだと改めて感じた。

来年も、そのまた翌年も、きっと泣くのだろう。

そしてそれが私の人生の儀式のひとつとなるのだろう。

亡くなられた方々への哀悼の意を込めて…。  (r)
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DATE: CATEGORY:コラム
 東日本大震災から1年を経過した。1年という節目を迎えるに辺り、個人的に特別な行動をしたということもなく、何らかの行事に参加したということもなく、ただ家族揃っていつものように日常を過ごし、午後2時46分に黙祷を捧げた。ひとつ言えることは、土日祝に働く我が家にとって日曜日に家族揃うということは数少ない機会であるので、この3月11日という日に家族揃って一日を過ごしたということこそが、我が家なりの特別な意味を持っていたと言えることかも知れない。

 1年が近づくにつれ、新聞やテレビがこぞって震災の特集を組み、震災当時の映像を目にすることが多くなり、実のところ精神がやや不安定になった。込み上げるといった感情の起伏の自覚がないのにしくしくと涙が流れるようになり、何で泣いているのか自分で自分の感情の説明が出来ない涙を何度も流した。ざっくりと一言で説明すると、それは悲しみの涙であるのだけれども、しかし震災当時の悲しみと1年後の今では悲しみの質が変わっているのは確かなわけで、それは自然への脅威や喪われた命の多さと尊さといったものが、震災当時よりも1年を経た今になって殊更改めて自分の中にまざまざと押し寄せて来て、かつて体験したことのない深い悲しみの感覚に包まれているのではないだろうか…と感じている。これほど甚大な震災を経験したのは初めてのことであるので、自分の中に取り込むのに相当時間を要するのだと思う。この今の自分には抱え切れない悲しみは、この先、年齢を重ねるにつれどのように変化していくのかは、自分でもまったく分からない。

 私が住んでいる所は、岩手県の内陸部であるため津波の被害はなく大停電を経験した。では、電気さえ戻れば後は震災前と変わらぬ生活に戻ったかと言えば、そうでもない。身近なところで私がよく買い物に行っていた1軒のスーパーは、地震によって建物が使えなくなり閉店したし、月2回家に配られるフリーペーパーのページ数は減ったまま戻っていない。そして何よりも依然厳しいままなのが、勤労によって得られる収入。さすがに震災直後ほどではないが、1年経っても仕事の量は震災前まで戻っていない。大震災によってキャンセルが相次ぎ、自粛ムードもあるため、仕事量が落ち込んだままの状況にある。震災によって多くのものを失い、収入を得ようとして働きたい人はたくさんいるものの、地震の被害は企業も受けているわけで、なかなか雇用に結びつかない。私も別口の仕事を探しているが見つからないその一人。

 生活の不安が常に頭にある。震災直後に仕事が「0」になった時は、余震に対する恐怖心もあって仕事を求めて岩手を離れようと考えた。今でも頭の片隅に岩手を離れるしかないかも知れないという選択肢を置いている。家族も無事で住む場所も無事だが、それを維持することがどれほど大変であるかということを今、身を持って経験している。そして、思う。震災前はまだ余裕があったのだということを。得ることが出来ていたものを得られなくなることが、これほど辛いことなのだということを今、身を持って経験している。被害の大きかった沿岸部を中心に復興の歩みを始めている岩手県だが、内陸部まで含めて細かい所に目を向けるとやはりまだまだ復興の道のりは遠いのが実情。その岩手に住む我が家の経済復興は、まだその足がかりすらも掴めていない。 (r)
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DATE: CATEGORY:コラム
先月の末に、我が家のTV画面から「アナログ」の文字がようやく消えた。
まだ近々新しいDVD(BD)レコーダーを購入する予定なので、それが終わって初めて完了という心づもりだが(否、TVそのものもそろそろ買い換える計画だが)、ともあれこれでデジタル放送が受信出来る環境は整ったわけだ。

5年ほど前に引っ越しをした際、TVはデジタルチューナー内臓のものを購入。DVDレコーダーはまだ先のことだし、正直言ってそこまで持たないのではないかと思い、非対応のものを購入していた。
住んでいるマンションそのものは既に対応済みだったようで(但しBSアンテナは設置されていなかったので自分で設置)、早速繋いだTVで地上波デジタル番組が視聴出来たから安心していたので、終了直前にでも新しいDVDレコーダーを買えば良いや、と考えていたのだが、昨年あたりから画面上にやたらとアナログ放送終了のお知らせが流れ始め、遂には有料放送のWOWOWでも画面を取り囲むように告知が出るに至って決断したというわけ。

安物ながらBD(ブルーレイ・ディスク)とVHSの視聴・録画が出来るDVDレコーダーを暫定的に買い、いざ切り替えと思ったのだが・・・地上波デジタル放送が受信出来ない。普段はアナログ放送を見ていたもので、デジタル放送が受信出来なくなっていることに気付かなかったのだ。

さて、原因は一体何だろう?
BS放送はちゃんとデジタルで受信出来ているからTV本体に問題はなさそうだし、アンテナ線でもなさそうだ。
そういえば何か工事をしていたような・・・と思い立ち、マンションの管理会社に問い合わせをしてみたが、特にアンテナをいじる工事はしておらず、希望者向けにJCOMのケーブルを引き込む工事をしただけとのこと。
また他の部屋からは映らなくなったという話は来てないとも。

仕方ないので自分でアンテナ立てるか、それともJCOMなどのケーブルテレビに加入するか等々を考えながら地デジのサポートセンターに問い合わせると、電波が弱いんじゃないですか?と一言。
そこでふと思いついたのは・・・実はアンテナ分配機に付いているブースター。
以前住んでいた家ではブースターのスイッチをONにしないとTVやビデオの映りが悪かったのだが、今の家では付けると逆に画質が落ちるので通常は切っていたのだ。
で、久々にスイッチをONにすると・・・見事、地デジが受信出来たのである。
しかし増幅してやらないと映らないなんて、アナログよりもデジタルが脆弱でどうする?

ともあれ、これで当面の問題はクリア出来たのでメデタシメデタシではあるのだが、ここへきて更に気になることが。
デジタルチューナーが組み込まれていない筈の前のDVDレコーダーで地上波番組を録画したところ、何故かデジタル放送として録画されてしまい、ダビングが出来なくなっているのだ。しかもアナログ放送のテロップも入っていないし・・・。
一体これはどういうこと?

ところで今月に入り、地上波アナログ放送では24日までのカウントダウン表示がされるようになった。
震災にあった岩手、宮城、福島県はデジタル放送への移行が延期された為に除外されているようだが、画面に大きく映し出され、番組が見にくいと総務省の地デジコールセンターには相当数の苦情が殺到しているのだとか。
デジタル化の意義、必然性といったものが未だに浸透していない中、多くの国民から黙って娯楽を、情報の入手手段を取り上げよう、奪い取ろうとしているとしか思えないこのやり方、政府はもう少し考えるべきではないだろうか。

ちなみにこのカウントダウンテロップ、CM中は映らないというから視聴者をバカにしてる。(e)
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DATE: CATEGORY:コラム
東日本大震災から早2か月以上が過ぎた。
3月11日の震災発生から今月11日までに気象庁が発表した「緊急地震速報」は73回。これは2007年10月の運用開始から、大震災前までの約3年半の間に発表された17回の4倍以上になる。

「緊急地震速報」は最大震度が5弱以上と予測された場合に、震度4以上だと見込まれた地域を対象に発表されるのだが、大震災以後では所謂「外れ」が実に6割以上に上るのだという。

気象庁が「不適切」だと判断したのは、73回中47回で64%。発表対象地域の中に、震度2以下の場所が含まれていたからだ。
またその中には、対象地域全てで震度2以下しか観測されなかったケースは20回あるとのこと。

それに発表が間に合わず、実際の揺れが始まってしばらくしてから速報が出た、という声も聞く。
元々確度の問題では色々と指摘はされていたようだし、今回の震災が”想定外”だったということもあるようだが、未だに抜本的解決は見出せないようで、信頼度の低下は致し方ないところか。
ちなみに大震災前に「不適切」としたのは29%だったそうだ。

ただ、僅かな時間であっても揺れに対する備え、特に”心の備え”が出来るという点では、このシステムも大いに意義があると思うのだが如何なものだろう。
いきなり震度3や4の地震に襲われるより、事前に震度5クラスの揺れが来る可能性があると言われ、結果的にそれが震度3程度で済めば、安堵こそすれ文句を言う筋合いではないと思うのだ。
勿論「完全な空振り」――震度4なり5なりの地震が来ると発表しながら、揺れが全く感じられなかった――というようなケースが頻発するようなことにでもなれば、単なる傍迷惑な話ではあるが。 (e)
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DATE: CATEGORY:コラム
 2010年6月30日をもって岩手日報の夕刊が「休刊」となった。岩手日報は、岩手県シェア1位の新聞紙であり、我が家も岩手に住むようになってから10年以上も購読し続けている新聞紙。今後も変わらぬであろうと思っていた新聞のスタイルが突如変わることとなり、身近に押し寄せた不況の波と、時代の変化に合わせて変わらざるを得なくなった新聞の有り様といったものに直面し、ふと絶対な事物などないこの世のことについて考えてみたりした次第。

 引っ越しをせずに同じ新聞を取り続けている限り、ひとつの販売店がずっと配達してくれているわけで、朝刊の届く時間、夕刊の届く時間というのが、季節や天候によって若干の差はあれどほぼ決まっている。朝刊は、朝の5時を過ぎるとバイクの音が家の前に近づいて来て、ガタガタッっと音を立てて玄関ドアの新聞受けに入れて行く。配達のバイクは、我が家の前でUターンするため、ぐるっと方向を変えて走り去るまでバイクの音がしており、窓を開けて寝ていることが多い夏の朝は、このバイクの音でふと目覚めることが多い。音の主は毎朝のことで新聞配達だと分かるので、またすぐに眠りに就く。この朝の配達は、以前も現在も変わらぬ営み。

 変わったのは、午後。6月末日までは、午後2時を過ぎると朝と同じくバイクの音が家に近づいて来て夕刊を届けてくれた。次男坊が幼稚園から帰って来るのとほぼ同時刻のため、幼稚園バスから降りて家の前でしばらく遊んでいると、新聞配達のバイクが近づいて来て、次男坊に渡してくれ、「じゃあね。バイバイ」というのがほぼ日課だった。おじさんから夕刊を受け取った次男坊は私に新聞を渡し、一つ仕事を終えたような表情を見るのも私の楽しみだった。

 その夕刊にまつわる日課が7月1日からパタっと止んだ。前日まで毎日来ていたものが来なくなると、妙な違和感があり、慣れるまでにだいぶ時間がかかった。慣れたのは次男坊の方が先で、数日の間「新聞屋さん来ないね」と手持ち無沙汰風にしていたが、「夕方の新聞はもう来ないんだよ」という説明で納得したのか、すぐに口にしなくなった。いつまで経っても慣れなかったのは私で、夕食時に夕刊に目を通すのが10年以上もの間日課となっていたため、夕食時の手持ち無沙汰に慣れるまで随分と時間がかかった。毎日、この時間に夕刊を読んで情報を得ていたという行動記憶があるためか、脳が情報を欲しているようで、夕刊が無いと本当に寂しく感じられた。やっと最近になって夕刊のない夕食に慣れて来た。

 夕刊が休刊となった理由は、「新聞広告収入減によりコスト削減の必要に迫られたこと」と「インターネット及び携帯電話の普及により情報生活が変化したこと」の2つ。どちらの理由についても納得できるので、夕刊の休刊は致し方ない事だろうと思う。新聞広告については、一般の個人が関与出来る話ではないが、インターネットの普及による情報生活の変化については、とてもよく分かる。私自身、ほぼ毎日インターネットに接し、様々なポータルサイトからニュースや情報を得て生活しており、時として夕刊よりも早く内容を知っている情報があったが、でも、夕刊で活字で印刷された情報を読むことにより、情報がより整理されて復習することが出来、新聞の有効性を身をもって感じていただけに休刊は誠に残念。

 7月1日より朝刊は、夕刊を統合した形で新スタートとなり、ページ数が増え、ニュース以外の読み物も増えた。価格は、1ケ月3,007円から2,980円へと変わった。僅かでも安くなったのはありがたいけれど、でも夕刊がないのは寂しい。朝夕に新聞を読むのは、一日のリズムの要であったので、できることならまた夕刊を読む生活に戻りたい。再び夕刊が発行することのできる社会へと景気が上向くよう望むばかり。(r)

さようなら夕刊
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