fc2ブログ

プロフィール

chaos infinity

Author:chaos infinity
レビュー・感想文サイト「CHAOS ∞」は、映画、音楽、本などなど…メディアで目にした作品の思い出や感想(レビュー)を投稿できるサイトです。

ヤマトファンよ「ヤマト&復活篇 100の質問」に乗艦せよ!!


最新記事


カテゴリ


最新コメント


最新トラックバック


月別アーカイブ


DATE: CATEGORY:「アニメ」のこと
最後にその後の流れを簡単に記しておきたい。

劇場版『クイーン・エメラルダス』は中止となったが、松本作品のアニメ化企画そのものは存続し、メーテルが登場する『コスモロード0』や、メーテルが新たな少年と旅に出る『銀河鉄道999/透明宮への旅』の製作が80年代半ばにアニメ誌に小さく報じられたことがあったが、いずれも続報は流れてこなかった。
ただ『透明宮の旅』に関しては、後にSKDで舞台化されている(1986年)。

「宇宙戦艦ヤマト」関連では、まずデスラーを主人公にした『キング・オブ・デスラー』の製作が発表された。
これは形を変え、西崎プロデューサーの元で『オーディーン/光子帆船スターライト』、『デスラーズ・ウォーI/戦艦スターシャ』、『宇宙戦艦ヤマト/誕生編』ら複数作品のプロジェクトへと発展するが、85年の『オーディーン』が興行的に惨敗したため立ち消えとなる。
非「ヤマト」作品である『オーディーン』だが、初期のスタッフリストには(アニメ誌の誤報でなければ)松本零士の名前が見える。

また西崎プロデューサーは半村良の「妖星伝」映画化にも着手しており、そのコミカライズを松本零士が手掛けていた時期があった。
この「妖星伝」は実写企画なのかアニメ企画なのか情報が錯綜しているのだが、実現していれば何らかの形で映画の方にも松本零士が参加していた可能性は高そうだ。

「ヤマト」は90年代に入り、劇場用作品『宇宙戦艦ヤマト/復活編』及びOVA『YAMATO2520』として再始動。
『2520』には直接関与していないものの”オリジナルデザイン”としてクレジットされている。
ただ製作会社の倒産やプロデューサーの逮捕などが重なり、『2520』は途中で打ち切り、『復活編』は中止に追い込まれている。

結局80年代に見ることが出来たのは「つくば博」用の『アレイの鏡』や、関西電力の企業PRを兼ねた『セントエルモ/光の来訪者』などごく一部の作品に過ぎず、つくづくブームとは恐ろしいものだなと感じさせられた。

90年代には久々に「企画・原作・構成」の肩書が付いたオムニバスOVA『ザ・コクピット』が作られ、丁度「ヤマト」再始動の時期でもあったので、松本零士復権かと思われたのだが後が続かなかった。

 →この項、続く。 (e)
スポンサーサイト



| BLOG TOP |
DATE: CATEGORY:「アニメ」のこと
『わが青春のアルカディア』は期待通りの成績が上げられず、その続編として10月から放送が始まった『わが青春のアルカディア 無限軌道SSX』も裏番組に押され視聴率が伸び悩み、翌年3月に終了となってしまった。
またそれに先んじて、83年夏の公開を予定していた『クイーン・エメラルダス』も製作中止が発表されている。

残るは『宇宙戦艦ヤマト完結編』のみ。
『宇宙戦艦ヤマトIII』最終回では82年夏の公開と告知されていたが、おそらく殆どのファンはその時期に『わが青春のアルカディア』が公開予定なのは知ってたはず。
なのでその告知内容には首を傾げたファンも少なくなかったと思うので、やがて83年春公開と正式に発表されたのは妥当な線だった。
だが製作は遅れに遅れ、当初予定日を1週間延期したもののそれでも間に合わず、都内や大都市圏などを除けば更に一日延期になったところもあったようだ。その間の代替作品は何が上映されたのだろうか。

有終の美を飾ったとは言い難い「ヤマト」の最期。
そして『無限軌道SSX』打ち切りを持って、遂に松本零士作品は姿を消す。
77年夏から83年春にかけての約5年半、席巻した<松本零士ブーム>はひとまずここに終焉を迎えたのである。

余談だが83年春は『ファイナルヤマト』以外にも『幻魔大戦』と『クラッシャージョウ』が公開され、アニメ映画の激戦が楽しめたが、夏には目ぼしい作品はない。
そのことに危機感を覚えた松竹乃至サンライズのスタッフ(一説には富野由悠季監督自身)が急遽考案したのが『ザブングル・グラフィティ』と『ドキュメント太陽の牙ダグラム』、『チョロQダグラム』の三本立て興行だったが結果は残せなかった。
仮定の話だが、もし予定通りに『クイーン・エメラルダス』が上映されていたら、案外健闘したのではないか、という気がしてならない。(e)
| BLOG TOP |
DATE: CATEGORY:「アニメ」のこと
最初に「キャプテンハーロックのプレリュード(前奏曲)的な内容になる」と言われていた新作のタイトルが『わが青春のアルカディア』に決まったと知らされた時は、<戦場まんがシリーズ(ザ・コクピット)>にある同名の一篇の映画化なのかと思ったものである。
その作品の主人公であるファントム・F・ハーロックII世は、確かに後の宇宙海賊であるキャプテンハーロックの先祖であることは度々語られてきたから、「ハーロック前史」という表現は必ずしも間違ってはいない。

しかしすぐに若き日のキャプテンハーロックを描く作品だという情報も流れてきたので、今度は何故わざわざ既成作品のタイトルを引っ張ってきたのかが気になったのだが、結局その理由には明らかにされないまま。
おそらく原作者にとって思い入れの強いタイトルなのだろう、若き日のハーロックの物語としてならば決して違和感はないな、と自分を納得させたのだが、この辺りは我ながら変な拘りを持つ面倒くさいファンだなと自嘲するしかないし、この感覚を誰かに分かって欲しいとまでは思わない。

しかし冒頭部分に同じ<戦場まんがシリーズ>『スタンレーの魔女』のエピソードを挿入し(ファントム・F・ハーロックによるスタンレー山挑戦の件と、片肺でスタンレー越えに挑むことになった主人公・敷井を助けるべく、仲間たちが次々と自分を犠牲にするシーンをアレンジして)、更に『わが青春のアルカディア』からハーロックII世と日本人技術者・台場元との友情を、トチローの先祖・大山敏郎に置き換えて流用していることがわかるにつれ、これは事実上の<戦場まんがシリーズ>のアニメ化ではないのか、それに詰め込み過ぎなのではないかと不安を覚えるようになる。

そしてまた、漫画『わが青春のアルカディア』を知る人からは、この映画は従来のSFアニメの延長線上ではなく戦争モノだと勘違いされるのではないかとか、『銀河鉄道999』や『1000年女王』のような既存作品のアニメ映画化ではないし、そもそもこれがハーロックを主人公としたオリジナルの物語だということがコアなアニメファン、松本零士ファン以外の層に認知されうるのか、ということも懸念された。

結果この作品はこれまでの松本アニメで最低の配給収入となってしまった。
既にブームが終焉を迎えていたことや、毎年新作が作られたことで松本アニメがもう観客に飽きられていたという原因も当然あるだろうが、もしこの作品のタイトルが『わが青春のアルカディア』ではなく、『宇宙海賊キャプテンハーロック』もしくはそれに準じた「ハーロック」の名前を冠したものだったならば、集客効果に少しは変化があったのではないか、という気もしている。
もちろんプラスの面で、ということだが。(e)
| BLOG TOP |
DATE: CATEGORY:コラム
日本は今や、新型コロナウイルスの感染拡大により緊急事態宣言の真っ只中。

自分にできることといえば、「3密」(密閉空間、密集場所、密接場所)を避け、マスクをし、こまめに手を洗い、移動を自粛すること。自身が感染しないため、知らず知らずのうちに感染させないためにも、今はこれらを実行することに最大限の注意を払っている。

2011年に発生した東日本大震災の際、沿岸部は未曾有の津波に飲み込まれて甚大な被害を受け、いまだ復興の途にある。とりわけ津波発生直後は瓦礫の山が町を覆い尽くし、想像を絶する光景がテレビ画面に映し出された。

この時、私は「自分にできることは何か」を考えた。それと同時に多くのボランティアの方々が現地を訪れる様子をテレビで見ながら、自分の無力さを痛感していた。何しろ私は体力もなく、現地まで行くガソリン代の余裕もなく、コミュニケーション能力も乏しい自分が行っても足手まといになるだけだろうし、実際にこの目で見たら足がすくんで木偶の坊のごとく立ち尽くしている姿しか想像できなかった。その上、余震も続いている中、幼い子を置いて現地に行く勇気まではどうしても持てなかった。

そんなことより何より、私の取り柄といえば写真や映像を撮るしかないというのが一番の理由だった。そういったことはマスコミやジャーナリストがたくさんやっていて一個人の出る幕ではない。「自分にできることは何もない」そう感じたことに身勝手ながら心が傷ついていた。

そして現在。目に見えないウイルスによって日本中が脅かされている。これまでの日常が封印され、非日常が新たな日常へと移りつつある。相手がウイルスとあっては、またしても私の取り柄は役に立ちようがない。だけど、感染拡大の防止はできる。この点だけは震災の時とは違う。自分にもできることがある。これだけでも心の持ちようがぐっと上がった。今は感染拡大防止に精一杯努めようと思っている。

人類は古来より疫病と闘ってきた。新型コロナウイルスに対しても必ずやワクチンが開発されることだろう。それまでは自分にもできる感染拡大防止を続けていきたい。そして新たな日常を受け入れる努力をし、少しでも希望が持てる明日になるよう、今の一日を耐え慎ましく過ごしていきたい。 (r)
| BLOG TOP |
DATE: CATEGORY:「アニメ」のこと
『1000年女王』は原作漫画、SKDの舞台版、TVアニメ、劇場アニメと全て違う物語、違う結末を迎える。
1000年盗賊の首領(セレン)、夜森大介はいずれも異なるキャラクターを与えられ、異なる生を生きることに。

一方で”正史”はどれか、という問題をも引き起こす。

原作を除けば(物語が未完のSKD版もだが)、TVも映画も弥生の死で物語が終わるため、弥生がプロメシュームであれメーテルであれ、いずれにせよ『銀河鉄道999』へは繋がらない。
またドクターバン(メーテルの父)の前身だ、いや星野鉄郎の先祖だとファンの間で取り沙汰されていた雨森始にしても「その後」が描かれることはなかった。

後年作られた『メーテルレジェンド』や『宇宙交響詩メーテル』では、弥生が当然のようにプロメシュームとして、そしてエメラルダスとメーテル姉妹の母親として出てくるが、当時からのファンとしてはモヤモヤが残ってしまう。
そういえば「ライバルにして親友」のエメラルダスとメーテルが双子の姉妹とされたことも釈然としない。
『さよなら銀河鉄道999』においてプロメシュームは、我が子メーテルを「一人娘」と呼んでいたのではなかったか。 (e)
| BLOG TOP |
DATE: CATEGORY:「アニメ」のこと
『新竹取物語1000年女王』は連載のスタート時点でアニメ化も決定しており、東映動画が製作し、TVシリーズは81年春からフジテレビでオンエアー、劇場版は82年春に東映系で公開。
ラジオはニッポン放送がサポートし、サンケイ出版は連載漫画の単行本化やノベライズ版の刊行(中断され未完で終った)を行い、『銀河鉄道999』舞台版を成功させたSKDによる舞台化、更には「国際科学技術博覧会(つくば博)」との連動も視野に入れ、他にも幾つかのイベントを準備していた。
80年代にフジ・サンケイグループは互いに連携しながら様々なイベントを行うが、その走りとなったのがこの『1000年女王』だった筈である。

その中心となるべく『銀河鉄道999』の後番組として満を持して始まったTVシリーズの『新竹取物語1000年女王』だったが、『999』ほどの人気は得られずひっそりと終了した印象がある。
実際は当初から予定されていた一年間の放送を全うしているのだが、途中で野球中継や特番などで休止になった回も多く、放送された話数は大凡10か月分相当だったこともそのイメージに拍車をかけている。
また主人公の雪野弥生をはじめとする女性キャラクターが、いわゆる”松本美女”とは異なるイメージでデザインされていたことも、ファンにそっぽを向かれる要因だったと思われる。

一方、TV版の最終回を間近に控えた時期には劇場版の『1000年女王』が公開された(「新竹取物語」の冠は付かない)。
雨森始に焦点を当てたTV版に対しこちらは弥生が中心で、デザインは原作に準拠。
「1000年女王はメーテルだった」と『999』に絡めた宣伝も行われたが、作品内では『999』とのリンクを示す要素もなく空回りに終わっている。

特にこの時期は雪野弥生とメーテルに関する松本零士の発言はブレまくり、『1000年女王』連載開始直後には「雪野弥生=プロメシューム(メーテルの母)」と明言しており、映画『さよなら銀河鉄道999』にもそれを踏まえたと思しき描写があるのだが、何故か『1000年女王』劇場版の公開が近付くにつれ急遽「雪野弥生=メーテル」であると前言を撤回している。

その後90年代の終わりから00年代にかけて再ブームが訪れた際には、再び「弥生=プロメシューム」となり現在に至っているが、当時としてはファン向けのアピールだったのかもしれないが、メーテルが主人公だからと言って一般観客が『1000年女王』に関心を寄せるとは思えず、逆に熱心なファンほど混乱を覚えるという点でこれは戦略ミスだっただろう。

これが松本零士ブームの終わりの始まり。
だが82年は春の『1000年女王』に続いて夏には『わが青春のアルカディア』と年に2本の松本アニメが公開。更に翌83年は春に『宇宙戦艦ヤマト完結編』、夏に『クィーン・エメラルダス』とこれまた2本の松本アニメが予定されていることが公表されていたので、その終焉の足音にはまだ気づいていなかったのだ。(e)
| BLOG TOP |
DATE: CATEGORY:「アニメ」のこと
1980年に始動したビックプロジェクト、それは『新竹取物語1000年女王』。

まず1月から「サンケイ新聞」で「一日1ページ」「全1000回」ということで連載がスタート。
その前夜(当日早朝)にはニッポン放送の『オールナイトニッポン電話リクエスト』枠で、前人気を煽る特番「午前零時松本零士です」が放送された。

松本零士本人をメインパーソナリティに招き、関係者(手塚治虫、西崎義展、牧美也子、下宿先の大家一家など)にインタビュー取材したライフストーリーや、松本作品の名場面紹介(「オールナイトニッポン」4時間生ドラマ『宇宙戦艦ヤマト』からの抜粋や、「キリンラジオ劇場」で放送された『ザ・コクピット』、更にその週にTV放送予定分の『銀河鉄道999』のエピソードのお披露目など)に加え、『1000年女王』もドラマ化するという力の入れようだった(配役は雪野弥生に池田昌子、雨森始に古谷徹)。
そして連載開始から約2年間、『1000年女王』は様々なメディアを駆け巡ることになる。

因みにこの「午前零時松本零士です」は翌年3月まで、都合3回放送された(2回目は日高敏との共著『漫画歴史大博物館』刊行に合わせたもので、3回目はSKDの『新竹取物語1000年女王』公演を前にした特番であった)。 (e)
| BLOG TOP |
DATE: CATEGORY:コラム
スーパーにて。

入口に置いてある機械にカードを挿入して来店ポイントをもらう。

レジで購入金額に応じたポイントをもらうためカードを店員に渡す。

返してもらったカードを支払いのためにリーダーにかざす(または挿入する)。

一度の買い物で3回もカードを使うこの流れが結構手間。

せめてレジではカードのやりとりを1回で済ませられないものだろうか。

それに、カードなんだからサクッとスマートに買い物にしたいのに、レジで「クイックペイ(またはiD)で」と言うと、「どのカードですか?」と質問されてカードをじろじろと見られることがある。これって失礼じゃなかろうか。「他店グループで作ったカードだと買い物ポイント付きませんよ」という親切心からなんだろうが、他人のカードをそんなじろじろ見るなよ…といつも思う。(ここの買い物ポイントが付かなくてもカード会社のポイントが付くからいいんだよ!)と、内心で言い返しながら、無表情を装って「クイックペイ(またはiD)で」ともう一度言う。

ここでもう一度言うが、レジでのこの流れが結構手間。

Apple Payでも同じ流れになることがあり、ちょっとイラッとする。ポイント付与のために「カードお預かりします」と言われ、わざわざ財布を取り出してカードを渡し、返してもらい、支払いをiPhoneでする。こっちはスマホ一つで済ませたいのに、何なんだ!この手間は!

キャッシュレス決済のポイント還元のため、せっせとカードを積極的に使っているのだが、かえってレジでの会話のやりとりが増えて面倒なことになってる。それに店によっては未だにキャッシュレス決済をよく理解していない店員もいたりして、カードはまだしも「スマホで」と言うと「え?スマホですか?」と狼狽られることもあった(ネタじゃなくて本当の出来事)。この時、レジに掲げてある「Apple Pay使えます」の案内文は嘘なのか?と不安になってしまった。

店員に不審がられたり狼狽られると、客は不安になって「やっぱり現金でいいですぅ」になってしまう(某CMの逆バージョン)。キャッシュレス決済を推し進めたいのなら、先ずは店側の理解力を深めて多種多様な決済方法に対してアレルギー反応を示さないことが急務だと思う。(r)
| BLOG TOP |
DATE: CATEGORY:コラム
1978年は春に『宇宙海賊キャプテンハーロック』と『SF西遊記スタージンガー』の放送が始まり、夏には『さらば宇宙戦艦ヤマト/愛の戦士たち』の公開、秋からは『銀河鉄道999』と『宇宙戦艦ヤマト2』の放送がスタート。
一週間の内、火曜が『ハーロック』、木曜が『999』、土日に『ヤマト2』と『スタージンガー』がオンエアーされるという充実ぶりだった(これに更に<東映まんがまつり>上映作品も加わるのである)。

翌79年は春先に『ハーロック』と『ヤマト2』、夏に『SF西遊記スタージンガーII』が相次いで放送終了するためTVレギュラーは『999』一本のみとなるのだが、なんといっても夏には劇場用大作『銀河鉄道999』の公開があり、単発ものTV作品『宇宙戦艦ヤマト/新たなる旅立ち』や『銀河鉄道999スペシャル』も作られているので、正にブームの絶頂期。
大晦日の「NHK紅白歌合戦」にも松本零士が特別審査員として出演している。

続く80年はキャラクターデザインとして参加した『メーテルリンクの青い鳥/チルチルミチルの冒険旅行』で幕を開け、前々年から継続して放送されている『999』は依然好調で2本の長尺スペシャル版もオンエアー。
夏には超大作『ヤマトよ永遠に』の公開と、TVスペシャル『マリンスノーの伝説』の放送があり、秋からは『宇宙戦艦ヤマトIII』の放送も始まっている。

前後して松竹歌劇団(SKD)が劇場版をベースにした『銀河鉄道999』のミュージカル版を上演、成功を収めるなど、依然<松本零士>ブランドの健在ぶりをアピールしてる。
そしてこの80年にはメディアミックス戦略の走りとも言える一大プロジェクトが始動するが、これは別稿に譲ろう。

だが作り手側がブームに便乗し、それに迎合した作品を送り出そうとした時は、既にブームは下火となっているのだ。
やれ「80年代はアニメの時代だ」だの、80年を称して「アニメ元年」「アニメ元禄」と持て囃すマスコミには大いに違和感を覚えたものだ。

ちなみに<松本零士ブーム>のピークは79年だとする意見を耳にする機会があるが、渦中にいた者の個人的な見解としては80年だろうと思う。
そして<松本零士ブーム>の終焉、イコール<アニメブーム>の終焉である。(e)

| BLOG TOP |
DATE: CATEGORY:コラム
劇場版『銀河鉄道999』の大切なポイントとして個人的に上げたいのは、一つはTVシリーズは勿論のこと、原作漫画に先駆けて”結末”までを描いたことだろう。
もっともこの「最終回の先行公開」という手法は、結果として本編においては異なる結末を迎える、可能性の一つを描いたに過ぎない世界の披露、という弊害も生むことになってしまうのだが。

そしてもう一つは、他作品の主人公であるハーロックやエメラルダス、それに大山トチローといったキャラクターたちが星野鉄郎やメーテルと邂逅することである。
これまでの松本零士へのインタビュー記事などでは既に彼らが同じ世界の住人であり、互いに多くの接点を持っていることが明言されていたが、発表された諸作品では匂わせる程度。それがこの作品によって誰の目にも明らかになったのである。

昨今は<マーベル・シネマティック・ユニバース>の成功により、単なるシリーズ物ではなく、独立した作品であっても大きな同じ世界の話として関連付けるのが流行だが、この<松本零士ユニバース>はその先駆けになっていたかもしれない。
ブームが今少し長続きし、きちんと各作品間の調整を取っていたならば。

実際はこの『銀河鉄道999』という一個の作品でさえ、作者が上手くコントロール出来たとは言い難い。
簡単に言えば原作漫画、TVアニメ、劇場アニメの3つの『999』が存在してしまい、所謂どれが”正史”なのかが不明なのだ。

TVアニメは原作漫画を元にしており、そこからはみ出した部分はおそらくほぼ原作者が関知しない状態でスタッフ独自の解釈で作られたであろうから除外するとしても、まだ原作漫画と劇場アニメと2つの世界が残っている。
原作漫画には存在せず、劇場アニメにのみ存在するシーンやシチュエーションを前提にした展開が原作漫画においてなされるなど、混乱を極めたままになっているのはこの劇場アニメの弊害であろう。(e)
| BLOG TOP |

copyright © 独言倶楽部 all rights reserved.Powered by FC2ブログ

カスタマイズ